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素問

平成30年9月素問勉強会(30年度)/『素問』至眞要大論篇第七十四注 第五十六章より2018.10.26

●日時:平成30年8月12日(日) ●会場:大阪府鍼灸師会館3階
●講師:日本鍼灸研究会代表 篠原孝市先生

・医道の日本2018年8月号,9月号『臨床に活かす古典№75 蔵書,№76 解読』のお話より
 
『素問』『霊枢』の書かれた時代と『備急千金要方(びきゅうせんきんようほう)』『外台秘要方(げだいひようほう)』の書かれた隋唐時代(隋581~617,唐618~907)では医学観が全然ちがう。そのちがいを勉強しなければならないところがやっかいではある。
 すべての時代の中国医学が地続きということではない。『素問』『霊枢』時代のもので、その後もずっと伝わるものは、外見は同じでも内実がそのまま伝わってはいない。経穴の位置などは、割合そのまま伝わっているようにみえる。たしかに文章は大きく変わっていないということはある。しかし、それでもやはり、いちばんやっかいなのは経穴の文章自身は変わっていなくても、枠組みが変わっているというような外枠を変えることによって中身を変えているということがある。同じ文章なのだが、違う意味を持たしているということがあり、ちょっと油断ならないのかと思う。
 
「気至る」ということばがあるが、古い時代と後の時代のものでは意味がちがっている。同じことばを使っていても時代によって、ちがう意味で使われているということがけっこうある。そこを油断しないようにする。

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★『素問』至眞要大論篇第七十四注
 
第五十六章
 
 帝曰。善。病之中外何如。
(帝曰く、善し。病の中外は何如ん【いかん】、と)

 
(訳文)
 帝は言った。「よろしい。病態の外側のあらわれと内側のあらわれというものは治療においてどんなふうに意味があるのか」
 
 
 岐伯曰。從内之外者。調其内。
(岐伯曰く、内より外にゆくものは、その内を調う)

 
(解説)
「之」の字は、ここでは動詞に使われている。
 
(訳文)
 岐伯は言う。「内側から外側に病症がでていくもの、つまり内傷のもので、外側に病をあらわしているものは、原因となっているその内側を治療しなさい」
 
 
 從外之内者。治其外。
(外より内にゆくものは、その外を治す)

 
(解説)
 王冰(おうひょう)というひとは、この部分を注して「おのおのその源を絶つなり」と言う。内外傷を分けるということを言っている。
*内傷・外傷を考えるということは、どんな病であってもからだの外にいくとか、内にいくとか変遷があるので、その過程にある時はどちらが病の中心になるのかをみて、それを治療するということである。だから「その内を治す」というのは、つまり内傷型のものということである。「その外を治す」というのは外傷型のものということができる。もちろん原理なので、その応用というものはまた色々場面によって違ってくる。しかし言わんとしていることはそういうことである。
 
(訳文)
 外側から内側のほうに向かって病態が進んでいるものは、その外側の原因であるものを治療しなさい。
 
 
 從内之外。而盛於外者。先調其内。而後治其外。
(内より外にゆきて、外盛んなるものは、先ずその内をととのう。而して【しかして】後にその外を治す)
 
 從外之内。而盛於内者。先治其外。而後調其内。
(外より内にゆきて、内盛んなるものは、まずその外を治す。しかして後にその内をととのう)

 
(解説)
 王冰はこの部分に注を入れて「皆、先ずその根屬(こんぞく)を除き、のちにその枝條(しじょう)をけずることをいう」と言っている。
*根屬(こんぞく)は根っこのこと。枝條(しじょう)は枝葉のこと。つまり、根本を治療して、それから外側のものを治療しなさいということであろう。
 
 
 中外不相及。則治主病。
(中外、相【あい】及ばざれば、すなわち主病を治す)

 
(解説)
 王冰はこのように注を入れている。「中外、相およばざれば、おのずから各一病なり」とある。本当のところ、この意味はよくわからない。「中外、相およばざる」というのは、からだの内側から外側に、また外側から内側に病が動いていないものは、その中心になっている中の病あるいは、外の病だけを治療すれば良いということなのだろうと思う。
 
*病には二通りあるということ。それには内傷と外傷がある。それを考えるには七情の過多や、風・寒・暑・湿・燥・火などの金元明医学で考えるのである。
 
 
『素問』の森を歩いてみませんか。毎月休まず第二日曜です。
 
 
(素問勉強会世話人  東大阪地域 松本政己)