学ぶ

HOME » 学ぶ » 素問 » 平成31年1月素問勉強会(30年度)/著至教論篇(ちょしきょうろんへん)第七十五より

素問

平成31年1月素問勉強会(30年度)/著至教論篇(ちょしきょうろんへん)第七十五より2019.02.23

●日時:平成31年1月13日(日) ●会場:大阪府鍼灸師会館3階
●講師:日本鍼灸研究会代表 篠原孝市先生

・医道の日本 2019年1月号 『臨床に活かす古典№80 内経 その1』のお話より
 
『素問』『霊枢』を自然に従って生きるといった先験的な理念で読まないほうがよい。わたしが長い間にこれらの本を読んできて感じることである。
 思想系として読もうとするひとは、はじめから結論を出している。「人間は自然にしたがって生きるほうが良いのだ」みたいな前提がまずあって、そこにあわせて読んでいく傾向がある。さいごは文献なので主観がはいるのは当然のことである。完全に客観的に読むことはできない。ただ、自然にしたがって生きるというような方向で読むことは、あまりよく無いように思う。
 むしろ『素問』や『霊枢』を読んで「何を言っているかわけがわからない」「どんな医学理論なのか?」と思うことのほうが、良いのではないか。古い時代にあらわされた『素問』・『霊枢』、これらの書物は現代人である我々の中から出てきたものではない。だからそのように思うのである。
 
-*-*-*-*- 
 
・著至教論篇(ちょしきょうろんへん)第七十五
 
 多紀元簡(たきげんかん)というひとは、呉崑(ごこん)というひとの本を引いて「著は明らかにする。至教というのは聖人の教えをいう」と言っている。「著至教論」とは「聖人の教えを明らかにする論」ということである。
 
 
第一章
 
 黄帝(こうてい)、明堂(めいどう)に坐せり。雷公(らいこう)を召して之れに(これに)問うて曰く(いわく)、子、醫(い)の道を知るか、と。

 
(訳文)
 黄帝は明堂にすわって、雷公を招聘して「先生は医学の大法則というものを知っていますか」とたずねた。
 
 
 雷公對えて(こたえて)曰く、誦して(しょうして)頗る(すこぶる)能く(よく)解す。解して未だ(いまだ)よく別つこと(わかつこと)能わず(あたわず)、別かちて(わかちて)未だよく明かすこと能わず、明かして未だよく彰れる(あらわれる)こと能わず。
 
(訳文)
 雷公が答えた。「文章を読んでもまだ充分理解できない。文章をすらすら読めるようになった。しかし筋道の立つ理解というものができない。文章の内容のおおまかなことはわかった。しかし、その細かい部分というものが、まだよくわからない。充分細かい部分が理解できた。しかしそれを実践に移せない」と。
 
(解説)
 雷公對えて曰くのあとの四節は、原文が「誦而能解。解而未能別。別而未能明。明而未能彰」であるが、現代中国の郭靄春(かくあいしゅん)というひとは、
誦而能解: 「誦して(しょうして)頗る(すこぶる)能く(よく)解す」という文章は
誦而能解「誦して(しょうして)未だ(いまだ)よく解くこと能わず(あたわず)」が適切ではないかという。訳文は、そちらを採用した。
 
 
 以て(もって)群僚(ぐんりょう)を治すに足りて、侯王(こうおう)に至るに足らず。
 
(訳文)
「たくさんの(身分の低い)官僚たちへの治療はこれで足りるが、身分の高い君主のような人間には、これでは治療ができません」
 
 
 願わくば天の度を樹てる(たてる)を受け、四時陰陽之れに合し(ごうし)、星辰(せいしん)と日月(じつげつ)の光とを別かちて、以て(もって)經術を彰し(あらわし)、後世益々明かならんことを願わん。
 
(訳文)
「天文の法則性というものを把握し、それに春夏秋冬と陰陽の気が消長する法則性を一緒にして、また星と太陽と月の光とを区別した上で、医療というものがあきらかになるのです。後の時代に益々その法則性というものが明白なものになる、そう願っています」
 
(解説)
 ここの原文の最初の文章は「願得受樹天之度」である。「」も「」も同じ意味がある。「得」の字がもともとあり、そこに注釈として「受」という字を書いたのが、文中に混ざったのかと思う。
 
 
 上(かみ)は神農(しんのう)に通じ、至教(しきょう)を著わして(あらわして)、二皇(にこう)に疑せん(ぎせん)、と。
 
(訳文)
「天文学にもとづく自分たちの医学というものは、過去にいた神農にも通じ、そして医学の道をあらわすことによって伏羲(ふっき)たち二人にも比較できるようなものなのです」
 
(解説)
「疑」という字は、『類經』や近年の和刻本、あるいは『太素』では「擬」である。「擬」は「比べる」という意味がある。
二皇(にこう): 張介賓というひとは「伏羲(ふっき)」と「神農」の二人のことだという。しかし神農は前の文章で出ているので都合が悪い。伏羲と女咼(じょか)という王、二人のことをいうのだろう。
 
 
 
 運気七篇のながい山の中を歩き終わって、2019年春、著至教論篇第七十五がはじまりました。道のりもそろそろ終盤です。『素問』の森を歩いてみませんか。毎月休まず第二日曜です。
 
 
(素問勉強会世話人  東大阪地域 松本政己)