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素問

令和元年7月14日(日)素問勉強会 / 疏五過論篇(そごかろんへん)第七十七2019.09.02

素問勉強会
講師:日本鍼灸研究会代表 篠原 孝市 先生
日時: 令和元年 7月 14日(日) 
会場: 大阪府鍼灸師会館 3階   出席者: 会員8名  一般9名  学生1名  
 
 
・医道の日本 2019年7月号 『臨床に活かす古典№86 難経その1』のお話より
『難経(なんぎょう)』は、六朝以前、おそらく後漢(25~220年)の時代の本であろうか。これが今のかたちになったのは唐(618~907年)の時代である。唐のはじめの頃に楊玄操(よう げんそう)という人がいた。(この頃の『難経』には、それ以前の人がつけた注がついていた)。彼はこの本を注解し再編する。王冰(おうひょう)が『素問』において行ったと同じことをした。
 
 
 
疏五過論篇(そごかろんへん)第七十七
(解説)
新校正にいう。「按ずるに全元起本の第八巻にある。過失を論ずという篇名だ」
 
 
第二章
 
帝(てい)曰く(いわく)、凡そ(およそ)未だ(いまだ)病者を診せずして、必ず問う、嘗(むかし)貴して(きして)後ち(のち)賤しければ(いやしければ)、邪に中らず(あたらず)と雖も(いえども)、病(やまい)、内より生ず、名づけて脱營(だつえい)と曰う。
(訳文)
黄帝が言った。「諸々の診察をする前に、昔と現在の生活の状態がどうであるか聴け。かつて生活が豊かで現在は貧しいのであれば、外邪の影響をうけなくても、病気がからだの内側から出てくるのである。それを脱營(だつえい)という」
 
(解説)
脱營: 脱營の「營(えい)」は、陰陽でいえば陰のほうである。陰血にも関係しているので、脱營は脱血のことだという注解者もいる。
 
 
嘗(むかし)富みて後ち(のち)貧しき、名づけて失精(しっせい)と曰う(いう)。五氣留連(ごきりゅうれん)して、病、并する(へいする)所有り。
(訳文)
「昔は生活が豊かで現在は貧しいのであれば、失精、気を失う。脱血と失気、この二つが起こる。五蔵の精気が失われると内傷、ストレスによって、病が集まってしまう所がある」
 
(解説)
五氣留連: 五蔵の精気というものが失われると、内傷、ストレスする。
并する: 集まるという意味である。
 
 
醫工(いこう)、之れを(これを)診する(しんする)に、藏府(ぞうふ)に在らず(あらず)、躯形(くけい)を變ぜず(へんぜず)、之れを診して疑い、病名を知らず。
(訳文)
「医者は、こういう患者を診察する時、七情の過剰、ストレスから来たものなので外見からは病が見えず、体の内側(蔵府)にも外側(躯形)にも問題を認めない。診察して、あらあらと疑っても診察がつかない」
 
 
身體(しんたい)、日に減じ、氣虚(ききょ)して精(せい)無し。
(訳文)
「体がやせてきて、気が虚したために、体力的なものが落ちてくる」
 
(解説)
王冰(おうひょう)の注: 「病の次をいうなり。氣血相せまり、形肉消爍(けいにくしょうしゃく)焼けて溶けてしまう。ゆえに身體日に減ず。陰陽応象大論(いんようおうしょうたいろん)に「氣は精に帰し、精は気を食す」とある。それと同じことを言うのだ」
 
張介賓(ちょう かいひん)の注: 「その病やや深ければ、すなわち體(からだ)痩減(そうげん)をなす(やせてくる)。その氣、日に虚す。すなわち精をもって生じることなし。陰陽応象大論の「氣は精に帰し、精は気を食す」といっているのが、それだ」
 
 
病深くして氣無ければ、洒洒然(さいさいぜん)として時に驚く。
(解説)
王冰の注: 「病の深きをいうなり。病氣深ければ、穀氣盡き(つき)、陽気内にせまり、ゆえに惡寒(おかん)して驚く。洒洒(さいさい)は、水をかけられたように寒気がする様である」
 
張介賓の注: 「その病深きに及べば、すなわち眞氣消索す。ゆえに氣なきという。氣なければすなわち陽が虚し、ゆえに洒然(さいぜん)として寒をおそれる。陽虚すれば神いたらず。ゆえに心、怯して(きょうして)、驚する」
 
 
病深き者は、其の(その)外、衞(え)を耗し(けし)、内、榮(えい)を奪うを以て(もって)なり。
(解説)
王冰の注: 「血は憂のために煎じ、氣は悲にしたがい減ず。ゆえに外は、衞(え)を耗し(けし)、内は榮(えい)をうばう。病ふかきものは、なんぞや。ここをもって耗奪(もうだつ)するがゆえに、しかり(だんだん消耗していくので、そうなるのだ)」
 
張介賓の注: 「精氣ともに損ずれば、すなわち表裏ともに困す。ゆえに外、衞を耗し(けし)、内、榮を奪い、これ、それ深きをなす、所以(ゆえん)なり」
 
 
良工(りょうこう)の失する所、病情(びょうじょう)を知らず。此れ(これ)亦た(また)治(ち)の一過なり。
(訳文)
上手な医者でも、ここの所を見落とすことがある。
 
 
 
『素問』の森を歩いてみませんか。毎月休まず第二日曜、午前10時から12時まで大阪府鍼灸師会館3階です。『素問』の森を歩いていたら、自然に『霊枢』の森へ続いていきます。
 
(素問勉強会世話人  東大阪地域 松本政己)