学ぶ

HOME » 学ぶ » 素問 » 素問勉強会 令和元年12月 疏五過論篇(そごかろんへん)第七十七

素問

素問勉強会 令和元年12月 疏五過論篇(そごかろんへん)第七十七2020.02.01

素問勉強会
講師:日本鍼灸研究会代表 篠原 孝市 先生
日時: 令和元年 12月 8日(日) 
会場: 大阪府鍼灸師会館 3階  出席者: 会員9名  一般15名  学生3名
 
 
・医道の日本 2019年12月号 『臨床に活かす古典№91 「明堂」その1』のお話より
『明堂』は後漢時代(25~220年)に成立した兪穴書(経穴書)である。つぼというものはごく最近まで、後漢の始め頃のものが一番古いと思われていた。しかし西暦2010年以降に中国四川省から、色んな出土物が出てその認識が変わった。特に四川省成都の老官山という場所から出土した「うるし人形」につぼの位置というものが100穴ほど書かれていた。これが2100年以上前という非常に古いものであった。
 
我々が今まで考えていたのは、まず経脈がありその後につぼが出てきたというものであった。
経脈は2200年ぐらい前、つぼは2000年ほど前の成立と考えていたのであるが、「うるし人形」の出土で、経脈の確認出来る時期につぼの成立時期が近付いてきた。つぼと経脈の関係は色々と想像できる。つぼとつぼを繋ぎ合わせたのが経脈だという考え方もある。しかし歴史の研究では証拠は無い。経脈とつぼというのは別々に出てきて、その内に経脈上のつぼというふうになって来た。しかし兪穴(つぼ)の経脈への配当がなかなか決まらなかった。現在のような経脈上の兪穴の配当は、700年ぐらい前、元時代(1279~1367年)のことである。
 
『明堂』は349穴の部位を言葉で表した。言葉で表すことは共有化するということでもある。
 
御存じのように、現在に伝わる『十四経発揮(じゅうしけいはっき)』(1341年、著者は滑伯仁または滑壽と呼ぶ)という本では経脈の上につぼが配当されている。それを私たちは当たり前だと思っている。
 
『明堂』に出てくるつぼは、もしかしたらすべてが経脈上に乗っているのでは無いのかも知れない。上肢・下肢は経脈の上につぼがあるが、頭や耳などは部位に分けてつぼが分類されている。
 
『明堂』という本がつぼを言葉にしたというのは、大きな意味があると思う。一子相伝や、触ったらわかる、絵にしたらわかるというものでは無くて、言葉にして普遍にしたということが大きい。言葉にしていなければ、つぼというものが長く残ることも無かっただろう。
 
 
・『明堂』の変遷について
まず『明堂』というものがあったが、その後失われる。時間が経って唐時代(618~907年)に楊上善(ようじょうぜん)という人の撰注した『黄帝内経明堂類成(こうていだいけいめいどうるいせい)』が出る。また似たような時代に、敦煌本(とんこうぼん)『黄帝明堂経』が出る。この二つの本が、本物の『明堂』を改編したもの、あるいはそのままを伝えたものとされている。ところが前者は十三巻の内の一巻のみ、後者は断片のみしか残っていない。これでは考えるも何も、無い。
 
三国時代(220~280年)に『甲乙経(こういつきょう)』という本が出る。ここに『明堂』が引用されている。また唐時代(618~907年)の『千金方(せんきんぽう)』や『外臺秘要方(げだいひようほう)にも『明堂』が引用されて後代に伝わっている。
 
日本では平安時代に丹波康頼(たんばやすより)が編集した『醫心方(いしんぽう)』巻第二に『明堂』の引用がある。これは今から200年ほど前に見つかった。
(*京都大学貴重資料デジタルアーカイブ https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp のサイトに『医心方』の画像を見つけた。2019年12月28日確認済み)
 
これらを『明堂』系の資料と呼んでいる。『明堂』の引用は唐時代の終わりまでで終わる。なぜなら、その後『銅人腧穴鍼灸図経(どうじんしゅけつしんきゅうずけい)』(王惟一撰)という本が出て、古い経穴書が不要になったからだ。
 
 
疏五過論篇(そごかろんへん)第七十七
(診断・治療上の五つの過ち 篇第七十七)
 
第七章
 
凡そ(およそ)此の(この)五つの者は、皆な(みな)術を受けて通ぜず、人事、明か(あきらか)ならず。
(訳文)
以上に挙げた五つの過ちをする人間というのは、医術を習得したとしても人の感情などをよく理解せず、世故に長けていない。
 
 
故に曰く(ゆえにいわく)、聖人の病を治する(ちする)や、必ず天地陰陽を知り、四時經紀(しじけいき)、五藏六府、雌雄表裏、刺灸石(しきゅうへんせき)、毒藥の主る(どくやくのつかさどる)所、人事に從容(しょうよう)して、以て(もって)經(つね)の道を明かす。貴賤貧富、各々品理(ひんり)を異(こと)にす。年の少長、勇怯(ゆうきょ)の理を問う。分部を審らか(つまびらか)にして、病の本始(ほんし)を知り、八正九候(はっせいきゅうこう)、診、必ず副う(かなう)。
(現代語訳)
だから次のように言うことが出来る。病気を本当に治す事ができる立派な人の治療とは、まず必ず自然の変化を知る。自然界の暑さ寒さ、春夏秋冬の推移、からだの五蔵六府、陰陽表裏、鍼・灸を施し瀉血をする事、毒藥の効能、人間や社会に通ずる事、そういうものを考え恒常的な規則を明らかにする。身分の高低、貧富、各々の体質は異なる。どんな年齢か、性格は生き生きとしているか卑屈なのか、そういうものを問う。病気のある部位をはっきりさせて、病気の原因を知り、季節ごとに八つの方向から吹いてくる正常な気を察する、そうすれば診察というものは必ず調っていくものである。
 
(解説)
張介賓(ちょうかいひん)の注はこうだ。
 
「陰陽の気のありかたは、季節によって変化する。人の体はこれに対応して気の消長というものがある。自然界の気のありかたというものを知っていないと、人の体のこともわからない。蔵府に陰と陽がある。経絡に表と裏がある。(たとえば肺と大腸、脾と胃、腎と膀胱などの表裏関係)
ある部分では鍼をして、ある部分では灸をすえる、また砭石(へんせき)や毒薬を使うことが、各々宜しきところがある。だからこそ五蔵の諸々の生理的な性格というものを知っていなければいけない。そうでないと治療の時に不自由をする。これが一般的に行うべき方法だ。人間や人間関係に充分な知識を持ち、一般的な正常な状態を知っていないと、どういう変化が今起こっているのかがわからない。人間の貴賤や貧富はそれぞれの人で違う。性質もそれぞれ異なる。その人の病状だけでは無くて、どのような生活をしているか、どういう立場にあるのか、そういう事を知っていないとだめだ。「八正(はっせい)」とは八節の正気なり。「副」とは「称う(かなう)」なり。
病気の現れている部位の病症状や色艶をよく診れば、病の起った大本がわかる。三部九候、脈を診て病気なのか否かを察する。脈の順逆というものは、こういう所から来るのだ。この二つのものを明らかにすれば診察は必ずかなう。この色脈というものも大事だ。
天道(自然界)、蔵象(人間の一般的な自然)、人事(人が置かれた社会的な位置や貧富)、脈色(その人が具体的に表している脈状や色、症状)の四つのものを四徳(しとく)という。医道において、この四つのものは一つも欠けては駄目だ」
 
 
『素問』の森を歩いてみませんか。毎月休まず第二日曜、午前10時から12時まで大阪府鍼灸師会館3階です。『素問』の森を歩いていたら、自然に『霊枢』の森へ続いていきます。
 
(素問勉強会世話人  東大阪地域 松本政己)