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素問勉強会 令和2年1月 徴四失論篇(ちょうししつろんへん)第七十八2020.03.08

素問勉強会
講師:日本鍼灸研究会代表 篠原 孝市 先生
日時: 令和2年 1月 12日(日) 
会場: 大阪府鍼灸師会館 3階  出席者: 会員9名  一般11名  学生2名
 
・医道の日本 2020年1月号 「ツボの選び方」症例と課題のお話より
『名人たちの経絡治療座談会』(医道の日本社発行、岡田明三監修)、この本は昭和30年代に行われた経絡治療座談会を本にしたものであるが、最近私はどこに行っても推奨している。是非読んでおかれたら良いと思う。あれこそ「経絡治療」だと言える。「経絡治療」の中心になっているメンバーがすべて生きておられた時の対談なので非常に意義のある内容が多い。ただ玉石混交なので気をつけて読まないと足元をすくわれる部分はある。
 
 
 
徴四失論篇(ちょうししつろんへん)第七十八
(臨床における四つのまちがい 篇第七十八)
 
郭靄春(かく・あいしゅん)氏は、その著『黄帝内經素問攷注(こうていだいけい・そもんこうちゅう)』において、本篇の要旨をこのように述べている。
「本篇では、臨床上における4つの過ちというものを分析している。その害というのは治療をする時に、理論にちゃんと従わずに行う所から来るのだ、ということを指摘している」
 
 
第一章
【読みは、日本安政版の訓読にもとづく】
黄帝(こうてい)、明堂(めいどう)に在す(ざす)。雷公(らいこう)侍坐(じざ)せり。黄帝曰く、夫子(ふうし)書に通ずる所、事を受ける事、衆多(しゅうた)ならん。試みに得失の意、之れ(これ)を得る(うる)所以(ゆえん)、之れを失する所以(ゆえん)を言え、と。雷公對えて曰く(こたえて いわく)、經に循り(けいに めぐり)業を受けること、皆な(みな)十全と言う。其の時に過失有る者、請う、其の事の解を聞かん、と。
(訳文)
黄帝が明堂という場所にいて、雷公が側に寄り添っていた。
黄帝が雷公に言った。「先生が医学書から得た色々なことが、とてもたくさんあるだろう。試しにその中でうまくいった例、うまくいかなかった例、そしてその理由を教えてくれないか」
雷公が言う。「正しい医学書にもとづいて医学を勉強するということが、完全な勉強の方法であります。しかし、それはまちがっている事と正しい事がある。私こそ、その理由を聴きたいものです」
 
(解説)
明堂: 黄帝が政治をつかさどる場所
侍坐: 側に寄り添う
夫子: 先生
衆多: 数が多い
 
 
 
第二章
帝曰く(てい いわく)、子、年少く(としわかく)して、智未だ及ばざるや、將た(はた)言(げん)と以て(もって)雜合(ざつごう)するや。夫れ(それ)經脈十二、絡脈三百六十五、此れ皆な(これ みな)人の明か(あきらか)に知る所、工の循い(したがい)用いる所なり。十全ならざる所以(ゆえん)は、精神專(せん)ならず、志意(しい)理ならず、外内相失う、故(ゆえ)に時に疑殆(ぎたい)す。
(訳文)
黄帝は言う。「あなたは年若くして知識が足りないのか、それとも雑多な治療理論がごちゃごちゃになっているのか。さてさて、経脈は十二本と絡脈(? 現在のつぼの可能性あり)三百六十五、これらはみんなが知っていることである。そして医者が理論にもとづいて用いるものである。にもかかわらず治療が完全でない理由は、精と神が不調和で、気持ちが一つの方向に向いていないのである。理論が頭の中で整っていないので、さまざまな疑問が生じてくるのだ」
 
(解説)
志意(しい)理ならず: 「志意」は、ある方向に気持ちが向いていること。「理ならず」で「気持ちが一つの方向に向いていない」となる。
 
外内相失う: 王冰(おうひょう)という人は、「外」を色(色つや・外側に表れている様々な所見)、「内」を脈、このように言う。
 
「智未だ及ばざるや、將た(はた)言(げん)と以て(もって)雜合(ざつごう)するや」: 
この部分の原文は「智未及。將言以雜合耶」である。ここでは「邪」の字は「○○や」と訳さないといけない。
 
「夫れ(それ)經脈十二、絡脈三百六十五」:
『素問』鍼解篇(しんかいへん)第五十四に「人、九竅三百六十五絡、野に應ず(おうず)。これ皆人の明する所。工の循用せる所」とある。また『素問』氣穴論篇(きけつろんへん)第五十八にも「孫絡三百六十五穴會。亦(また)以て一歳の應ず(おうず)」「孫絡の脈、經を別て(わかて)のもの、その血さかんにして、當(つね)に瀉すべきもの。また三百六十五脈、並びて絡に注ぐ」とある。
 
私は経穴というものは、おそらく経脈の中の絡脈の概念から出てきたものだと思っている。絡脈が分離して経穴になって行ったものと考えている。太いものがあり、その末端のものがあり、その末端の末端が穴であると考える。365の絡があるというよりも、365の絡がそのままおそらく孫絡のつぼだと考えている。『霊枢』にも365絡という用例がある。「絡」と「穴」と「脈」というものが似たようなものとして『素問』『霊枢』の中で使われているということが出来ると思う。
 
精神: 現代では「精神」というものは「意識」のことを指す。しかし『素問』『霊枢』の中での「精」「神」というものは人間を構成している要素の内、陰的なものと陽的なものの象徴である。精気と神気のようなものを指している場合もあって、意識を精神ということは少ないのではないか。
 
「精神專(せん)ならず」: 精神が専一ではないという意である。精神が専一している状態とは本質的な陰の気と陽の気が調和した状態を指すものと考える。
 
 
第三章
診、陰陽逆從(いんようぎゃくじゅう)の理を知らざる、此れ(これ)治(ち)の一失(いっしつ)なり。
(現代語訳)
『世界の名著/中國の科學』(中央公論社刊)より
「診断にあたって、陰陽逆順の理を知らないのが、治療にあたっての一失である」
 
(解説)
「此れ(これ)治(ち)の一失(いっしつ)なり」: 原文は「此治之一失」、最後の文字「矣(い)」は、言葉の調子を取る為のものである。「也(なり)」という表現は「○○だ」と断定する強い言葉である。よりソフトな表現が「矣(なり)」である。
 
陰陽逆從の理: 陰陽(下と上、裏と表、寒と熱など)の調和と不調和についてを指す。陰も陽も太過であったり、不及であったりしてはいけないということが大事だ、と言っている。
 
 
第四章
師に受けること卒わらず(おわらず)。妄りに(みだりに)雜術(ざつじゅつ)を作し(なし)、謬言(びゅうげん)して道と爲し(なし)、名を更えて(かえて)自ら功とし、妄りに石(へんせき)を用いて、後に身の咎(とが)を遺す(のこす)。此れ(これ)治の二失なり。
(訳文)
先生についてちゃんと勉強もせず、みだりに色んな治療法を行い、誤った言葉を言って、「これこそ大したものなのだ」というふうに事揚げをし、それを自分の功績とし、みだりに砭石(鍼を含む)を使い、その結果として後遺症を残したりする。これが治療の二番目の誤まりなのだ。
 
(解説)
功: 新校正注は、『太素』では「巧」という字になっていると言う。
雜術: 後のテキストでは「術」となっているものが多い。私は「(雑)術」の方が良いと思う。
 
 
 
『素問』の森を歩いてみませんか。毎月休まず第二日曜、午前10時から12時まで大阪府鍼灸師会館3階です。『素問』の森を歩いていたら、自然に『霊枢』の森へ続いていきます。
 
(素問勉強会世話人  東大阪地域 松本政己)