公益社団法人 大阪府鍼灸師会

素問・霊枢報告

素門勉強会 令和2年2月9日 徴四失論篇(ちょうししつろんへん)第七十八[2020/04/10]

素問勉強会講師:日本鍼灸研究会代表 篠原 孝市 先生
日時: 令和2年 2月 9日(日) 
会場: 大阪府鍼灸師会館 3階  出席者: 会員10名  一般15名  学生4名
 
・医道の日本 2020年2月号 「ツボの選び方2」のお話より(その1)
 
『医道の日本』1月号と2月号の連載記事の読み方であるが大雑把な分け方をすると経絡治療的なものと、そうでないものに分けるというのが一番簡単である。
 
その中で、経絡治療的なものを中心に説明したいと思う。
 
皆さんが経絡治療的な会に色んな所で接して、それを判断する基準になるものを考えてみる。まず一つはいわゆる戦前の経絡治療、昭和16年から19年にかけて作られたものに準じてやっているというところである。
 
このやり方は、もちろん江戸時代にも無いし、中国の元・明の時代にも無かった。経絡を決めて、その経絡上の要穴を取るというやり方は他に参考になるものは無い。江戸時代でも経絡治療的なものが有るのかと言えば、それは無い。ただ、無いものが何故出てきたのか、それには理由がある。
 
経絡治療の出発点というのは、実際に治療方法がばらばらになって、対症療法ばかりになって、表層をなでるような治療が多かった中で、からだ全体をとらえるために、経絡というものに着目したということがある。
 
経絡がからだ全体を表している。経絡をとらえてそれを運用することによって、治療が出来るようになった。非常にシンプルなものの考え方である。これは柳谷素(やなぎやそ)(れい)から経絡治療をつくった人たちまで一貫していると思う。ただ柳谷素霊と経絡治療をつくった人たちとで違うところがあるとすれば、柳谷素霊にとっては経絡を調整するというのは非常に重要な要素では有ったが、それはたくさんある内の一つだったろうというふうな事も言えると思う。
 
これは柳谷素霊の姿勢、あらゆる当時の江戸時代の古典や中国の古典、明治・大正時代に行われていた鍼灸、そういうものをみんなまとめて総括するという姿勢からは経絡治療というのは狭すぎて、経絡治療で東洋医学をすべて代表するのは無理だという観点があったからでは無かったか。
 
経絡治療をつくった人たちは、これで突っ走らないと鍼灸の治療の体系は出来ないのだという考えがあったと思う。江戸時代の鍼灸、たとえば杉山流、()分流(ぶんりゅう)雲海士流(うんかいしりゅう)、入江流などの諸々のものをすべてまとめてというのは、口で言うのは簡単だが実際には不可能である。杉山流と夢分流を一緒にしてミキサーにかけて一つにするなんてことは出来るわけがない。江戸時代の鍼灸を統合することは無理だと思う。ただ、ばらばらに流派があるだけである。それで体系を作るとしたら一から始めないといけない。
 
私の所属する会の中でも、最近よくこんな話題が出る。「経絡治療は、なぜ1940年代の東京で出来たのか」、たとえば鍼灸の盛んな関西、大阪もそうであるし九州も四国も盛んである。そこでなぜ経絡治療が出来なかったか、おそらく一番簡単な理由は東京では鍼灸の伝統が弱かったので好き勝手なことをやっても、「なんだ」と言う人が居ないというものがあったのでは、と思う。関西・四国・九州には分厚い伝統というものが有ったので、そうした動きが取れなかったのでは、と思う。
 
戦前、経絡治療の人たちはそういうことで体系的なものを作った。おそらく本人たちにとってみれば、これが唯一の体系だというふうに思っていたと思う。
 
これで後は色々なものをくっ付けて、少し修正していけば新しい間合いというのが出来る、と考えたのだと思う。当時、そういう体系が日本の鍼灸には無かったが、これで日本鍼灸の体系を東アジアに押し出せるということもあったと思う。おそらく東アジアに自分たちの鍼灸を押し出そうという気持ちもあったと思う。
ただ戦後になって、戦前に作った経絡治療の体系というものが散漫になってきた。
 
(*次回につづく)
 
 
 
徴四失論篇(ちょうししつろんへん)第七十八
(臨床における四つのあやまり 篇第七十八)
 
第五章
貧富貴賤(ひんぷきせん)(きょ)()薄厚(はっこう)(けい)の寒温に適せず、飮食(いんしょく)(よろしき)に適せず、人の勇怯(ゆうきょう)(わか)たず、比類することを知らず、(もっ)自亂(じらん)するに足り、以て自明することに足らず、()()三失(さんしつ)なり。
(訳文)
金があるか無いか、また身分が高いか低いかによる住まいのちがい、貧富貴賤による座る場所の分厚さや薄さ、からだが寒い思いをしているか温かい思いをしているか、良いものを食べていないのであるか、気持が盛んな状態か、盛んで無いのか、患者のそういうものをちゃんと区別しないでいると、医者は自分自身がうまく判断できなくて、混乱して明明白白な治療というものができない。これが治療の三つ目のあやまりである。
 
(解説)
この章で言いたい事は、生活のありかたに考慮しないで、そして自分勝手に「こういうふうな体の状態なのだろう」と判断すると、それは大きな間違いになる、ということである。
 
 
第六章
(やまい)(しん)するに()の始めに憂患(ゆうかん)し、飮食(いんしょく)の節を(しっ)し、起居の度を過ごし、或いは毒に(やぶ)らるるを問わず、()()れを言わずして、(にわか)に寸口を()らば、何の病か()(あた)らん。妄言して名を()す。()の窮せられる所と()す、()()の四失なり。
(訳文)
気分的なものについての質問、食べ物についての質問、生活態度、毒にやぶられていないか、これらを問うこともなく、すぐに脈診をするのであれば、どうしてちゃんとした診察が出来るのであろうか。勝手に病名をつけて下手な医者がどうにもこうにもならないような、そういう事になる。これが治療の四つ目のあやまりである。
 
(解説)
「治の三失」も「治の四失」も大体同じようなことを書いている。いずれも生活のありかた、生活態度、食べ物、気持の問題に対し正確な把握をしないと、ちゃんとした治療ができないと述べられている。
 
王冰(おうひょう)という人はこのように注を入れている。
「憂」とは憂懼(ゆうく)(憂えたりおそれたり)を言う。「患」とは患難(かんなん)(非常に困難な様)を言う。「飮食の節を失し」とは特定の味、たとえば甘いもの、酒などをたくさん食べたり飲んだりすることも含む。「起居の度を過ごし」とは潰耗(かいもう)、消耗することを言う。
「或いは毒に(やぶ)らるる」は、五藏の病気がどういうふうに移り変わるかを充分に考えないで治療することは出来ないということである。
(*この部分は、王冰の解釈には従えない。訳文のように「毒にやぶられていないか」を採る)
(にわか)に寸口を()らば」とは、「まず寸口の脈の和平と和平ならざるとを取らざるをいう(寸口の脈を取るときに平常の状態か、病気の状態かをまず判断しないで、始めから病気である前提で、ものを見てしまう)」
 
 
 
『素問』の森を歩いてみませんか。3月8日(日)は新型コロナウイルスの感染防止のため休ませて頂きました。しかし、こころざしは「毎月休まず」第二日曜、午前10時から12時まで大阪府鍼灸師会館3階です。『素問』の森を歩いていたら、自然に『霊枢』の森へ続いていきます。
 
(素問勉強会世話人  東大阪地域 松本政己)

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