公益社団法人 大阪府鍼灸師会

素問・霊枢報告

霊枢勉強会報告 令和三年九月

講師: 日本鍼灸研究会代表 篠原 孝市 先生
日時: 令和3年 9月12日(日) 第6回
会場: 大阪府鍼灸師会館 3階  出席者: 会員21名(うちWeb15名) 一般15名(うちWeb7名) 学生12名(うちWeb12名)
*6月度は会場14名、ネット配信での受講が34名でした。

○『黄帝内經靈樞』本輸第二 ・ 第八章
01 たん竅陰きょういんづ。
02 竅陰は、 03 足の小指しょうし次指じしはしなり。 04 井金せいきんと爲す。 05 侠谿きょうけいながる。 06 侠谿は、 07 足の小指の次指のかんなり。 08 けいす。 09 臨泣りんきゅうに注ぐ。 10 臨泣は、 11 上行すること一寸半、 12 くぼかなる者の中なり。 13 す。 14 丘墟きゅうきょを過ぎる。  15 丘墟は、 16 外踝がいかの前のしも、 17 くぼかなる者の中なり。 18 げんす。 19 陽輔ようほに行く。 20 陽輔は、 21 外踝のかみ、 22 輔骨ほこつの前、 23 あるいは絶骨ぜっこつの端なり。 24 けいす。 25 陽の陵泉りょうせんに入る。 26 陽の陵泉は、 27~28 膝の外、くぼかなる者の中に在るなり。 29 ごうす。 30 伸してこれ。 31 足の少陽しょうようなり。


(解説)
○竅陰(01~04節)
竅陰きょういん
靈樞經校釋れいすうきょうこうしゃく』45ページの記述
「足“:《太素》卷十一 本輸无」
*足という字は『太素』の卷十一には無いと言う。これは全く問題にならないことであろう。
**「」は「」と同じ(『中日辞典』,小学館発行,2003年第2版を参考とする)

○臨泣(09~13節)
楊上善はこのように言う。
『明堂』、在足小指次指本節後閒、陷者中、去侠谿一寸半也。
*どこから上行するかを規定するため侠谿から一寸半と記す。
**「」は「」と同じ。

○丘墟(14~18節)
楊上善いわ
「『明堂』では外踝のしも、前にく。くぼかなるものの中なり。臨泣りんきゅうを去ること三寸なり」
*『明堂』あるいは『甲乙經』なども同様であるが、点として位置を特定する以上は、A点からB点までの距離を決めないといけないという意識が見える。

○陽輔(19~24節)
『靈樞經校釋』45頁でこのように言う。
「“上”: 《甲乙》卷三第三十四、 《外台》卷三十九、 《圖經ずきょう》卷一 此下并有“四寸”二字。
按: 《素問》骨空論王注、 《千金》卷二十九、 《醫心方いしんぽう》卷二 并无(ならんで無し)“四寸”二字。」。

*いくつもの本が外踝の上、四寸としている。「四寸」という文字を入れないと、この穴の高さが決められないものと思う。「輔骨ほこつの前、あるいは絶骨の端なり」ということでは絶骨の端までの高さしか決められない。そのために「四寸」という文字を入れざるを得なかった。しかし、ここで四寸という文字を入れれば入れるほど、つぼが点だという意識に駆られるようになったであろう。つぼの観念というものは、こういったことにかなり影響を受けたのではないか。

『靈樞經校釋』45ページう。
「“端”; 《甲乙》卷三第三十四、 《千金》卷二十九、 《資生經》此の下に并有ならんである “如前三分,去丘墟七寸“ 九字。 《圖經ずきょう》卷一 ”端“ 下有 ”如前三分“ 四字。」

*「絶骨の端」のうち「端」という字の解釈を転換させている。「前三分(前に往くこと三分)」というのはとても中途半端なものである。三分というのは普通に考えると取ることができない。一分であれば「ちょっと」という意味に取れるのであるが三分は取れない。三分というのは一分ではない。しかし一寸の半分の五分でもない。一分と五分の途中ぐらいという意味であれば別であるが実数としての三分というのは実はあまり意味がないのかと思う。

*経穴学の中で数字が意味を持つのはA点からB点の距離の何分の一という表現をする時である。しかし単なる分数を書いても、それに比較するAB間の距離が与えられていなければ基準がわからない。そういう意味では三分という表現は問題があると思う。

○陽之陵線(25~30節)
*「膝の外のくぼかなる者の中にある」これだけでは、あまりにも情報が少ない。これでは穴は取れない。取れないと言うことであるが、もともとはこれぐらいの情報だったのだろう。これが何とか恰好がつくのは流注というものがあるからだ。手足の場合、流注がなければ穴は取れない。
足の陽明の脈、「下陵三里」つまり足の三里であるが、これも「膝の下三寸」という情報だけでは穴が取れない。しかし胃経の流注というものが、ある程度あいまいな形ででもあれば、横幅は確定できる。

○本輸篇 ここまでのまとめ
現在、文字で書かれたけつに関する出土文物は無いと思う。老官山から出土した漆人形で前漢(前206~後8)の穴の位置はわかる。しかし言葉で穴を表記したものとしては、本篇とこれよりも、もっと古いかたちを持ったものかもしれない『太素經』「本輸篇」の文章がもっとも古いものだと思う。
もともとは人形に点を打って穴を示したと考えやすい。しかし絵や人形に点を打ってつぼの体系を表記できるかと言えばむつかしいと思う。文字で書かないと構造的なものは表記できないと思う。

本篇や『太素經』「本輸篇」が、今のところは最古の経穴部位の資料ということになる。これに続くものが『明堂』あるいは、これを引いた『甲乙經こういつきょう』ということになる。しかしこれらはかなり潤色されている。色々と尾ひれをつけて散文的に整った状態になっていて本篇や『太素經』「本輸篇」とは別のものと言っても良い。
後漢(25~220年)までに出来上がった「本輸篇」と、三国時代(220~280年)以降に出来上がった『明堂經』や、それを引いた『甲乙經』の表記の違いというものは、単にくわしい表記と簡単な表記というものだけではなくて、質的なものの違いがあるように思う。

それを踏まえて、わたしは現在行われている古典文献を使った経穴の研究にはまったく批判的である。たくさんの部位について、たくさんの資料をならべて眺めれば何かが出てくるだろうと思うレベルでは、とてもじゃないが経穴の問題も、あるいは経脈と経穴の関係の問題も解決しないのではないかと思う。「本輸篇」はある種の流注なのだと思うが、それも古い経脈説の上につぼを乗せることによって、より精緻になった流注のようなものだと思う。

【さらに勉強したい方のために】
京都大学貴重資料デジタルアーカイブ(https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp)
渋江抽斎⇒ 検索 黄帝内経霊枢24巻首1巻 で 『靈樞講義』のマイクロフィルム画像を見ることが出来ます。

*『霊枢』の森を歩いてみませんか。毎月休まず第二日曜、午前10時から12時まで大阪府鍼灸師会館3階です。COVID-19感染予防対策の下、勉強会のご案内につきましては本会ホームページをご確認下さい。11月14日(日)は「小針解第三」に入ります。

(霊枢のテキストは現在5冊在庫あり、受講申し込み時お問い合わせください)


素問勉強会世話人
東大阪地域 松本政己

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